シンコ・デ・マヨ:メキシコの戦争が米国のパーティになったのは
Cinco De Mayo 2012: How A Mexican Battle Became An American Party
http://www.huffingtonpost.com/2012/05/03/cinco-de-mayo-party-history_n_1471509.html?ncid=edlinkusaolp00000003#s=more224178
#cincodemayo #mexico #france #civilwar
これは、Huffington Post(HUFF POST HISPANIC HERITAGE)のラテンアメリカ関係の記事です。
5月5日(Cinco De Mayo:シンコ・デ・マヨ)は、
・日本では、子供の日
・メキシコでは、フランスとの戦争の勝利を祝う日
・米国では、メキシコ系アメリカ人による最大の祝祭の日
1861/12、債務の利払いを停止したメキシコに対して、フランスが出兵。
これを、イグナシオ・サラゴザ (Ignacio Zaragoza) 将軍率いるメキシコ軍が、ブエブラの会戦(Batalla de Puebla)で撃退しました。
1862/5/5のことで、戦闘員の数では圧倒的に不利であったメキシコ軍が、奇跡的な勝利を収めたということで、愛国的な記念日になったわけです。
しかし、この敗戦にも関わらず、ナポレオン3世の指令の下、フランス軍はメキシコでの戦いを続け、ついにはメキシコシティを占領。
ハプスブルク出身のマクシミリアン1世がメキシコ皇帝に収まるという結果に終わります。
この頃、米国は南北戦争の真っ最中。
フランス軍はメキシコをベースに南軍支援をする計画であったものが、その地での戦いが長引いたことで、結局、その間に力を付けた北軍の勝利に終わります。
ということは、結果的にメキシコでの戦いが、南北戦争の北軍勝利につながったという見方にもなり、そういう解釈もされているようです。
少し、歴史のお話になってしまいましたね。(少々好きなものですから・・・)
ところで記事の内容としては、こうしたメキシコ、そしてメキシコ系アメリカ人の愛国的な記念日であるにも関わらず、いつからそれがアルコールの休日(drinking holiday)になってしまったのか、というものでした。
酒類のスポンサーがこれをバックアップしたため、というストーリーのようです。
ゴールデンウィークの最後、歴史を含めて、シンコ・デ・マヨの話をまとめてみました。
それぞれの地域に、様々なストーリー、興味深いですね。
GlobalBISCUE @BISCUE総合研究所
http://www.biscue.net/
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