2012年2月15日水曜日

ピカソのゲルニカは昔、英国の自動車ショールームで展示されたことがある。感動のストーリーです。


ピカソのゲルニカは昔、英国の自動車ショールームで展示されたことがある。感動のストーリーです。
Picasso's Guernica in a car showroom
http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-16927120
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パブロ・ピカソのゲルニカは世界で最も有名な作品の一つ。
このアートが、英国で最後に展示されたのはアート・ギャラリーではなく、マンチェスターの自動車のショールームだったようです。

近代絵画の最高傑作の一つゲルニカは、極めて脆いため、現在では、ロボットで損傷をスキャンニングまでしている状態。それがこともあろうに、自動車ショールムで展示されていたとは。

1939年、ゲルニカは若い芸術家・政治活動家のグループに委託され、これが、Fordショールームでの釘での打ち付けにつながったとのことです。

(これから、そのストーリーを見てみよう)

ゲルニカはピカソがスペイン内戦の中、1937年、ゲルニカの町への爆撃の恐怖を伝えるために描いたもの。

スペイン内戦は続き、英国がドイツとの衝突に向かう中、ピカソは反戦を訴えるために、ゲルニカを英国に送ることを決意する。

こうしてロンドンに送られたゲルニカはギャラリーで展示されたあと、スペインのファシズム抗戦に援助を差し伸べていた、Manchester Foodship For Spainというグループの手に渡る。

その一人、のちに著名な壁画家となるHarry Bainesのアイデアで企画が実現、HE Nunn & Coのショールームには2週間展示された。

当時の写真は残っていないものの、Manchester Guardianの記者は次のように伝えている。
”ショールームは完全に絵画ギャラリーに変身。ゲルニカが巨大な壁一面に、両脇1インチほどを残すだけで展示されている。”
”この驚嘆のアートは、戦争犯罪への非難を、どんな言葉よりも印象深く皆に伝えるであろう。”

ゲルニカの英国行きは、ピカソの友人、Sir Roland Penroseが企画したもので、送付の前、ピカソに電報で、世界の政治情勢が不安定の中、本当に送ってよいのかを確かめた、との記録が残っている。
これに対し、ピカソは即座に、この絵画の目的は戦争の恐怖を伝えるものであり、このチャンスを逃すわけにはいかないと返答したとのこと。ゲルニカを描き上げたとき、その絵に含まれるメッセージが、芸術性よりも重要であると、ピカソは信じていたとの逸話が残っている。

この自動車ショールームは、皮肉にも翌年ロンドン大空襲に見舞われ、更に1996年、この地域はIRAの爆弾で壊滅的ダメージを受けた。そして、今日、この地はハーヴィー・ニコルズの裏手に、昔、この偉大なアートワークが展示されたことがあるといった痕跡もないまま、ひっそりとしている。

なお、ここのところ、ゲルニカはその損傷もあり、マドリッドのソフィア王妃芸術センターを離れることはないとのことです。

(原文出所:BBC)


ピカソのゲルニカを初めて見たとき、衝撃的だったことを覚えています。
こういうストーリーを読むと、更に感動しますね。
「ピカソがその時代に描いたから、価値があるのです。」と、以前聞いたアーティストの言葉が思い出されました。


GlobalBISCUE @BISCUE総合研究所
http://www.biscue.net/


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